Q:マインドとノーマインド、自我と無我、小我と大我、偽りの自己と真我、平凡と非凡、世界中の真のヨーギたちが、それぞれの言い方で真の自己と妄想の自己について、このように同じことを伝えています…。MARTHさんはとくにこのことについて強く伝え続けている方だと思います。
そのことについて、メッセージをいただきたいのですが。

MARTH:確かにこのことはとても大切です。このこと以外に大切なものはないといってよいくらいに人類にとって真の平和ややすらぎにとって大切なことだと感じてなりません…。今人類はちょうどその難関に差し掛かっていて、その真実のところに亀裂が入らなければ、この先人類は滅亡してしまうだろうとも私は感じます…。まるで、手というものがあるとして、親指や小指や人差し指、本当はつながっている一体のものが、それぞれ戦ったり、競争したり殺し合ったり、分離したと信じ、自分と他というように自我化してしまう文化や試合をこれ以上つづけるなら、この世界は分離してしまった中で、争いと不信と、比較と、ありとあらゆる問題がそこから吐き出され、滅びてしまうことでしょう…。現在、世界中で皆が自我という分離感の争いの中、苦しんでいることでしょう。自分はダメだーとか、自分はすごいんだーとか、自分は勝った、負けた、やられた、やった、様々な分離感は人々を押しつぶしてしまい、大変な苦しみと不正の社会を生きていることでしょう…。人類はそれを何万年続けてきたかわかりませんが、その分離社会の中で本当に苦しんでいます。この自我、この分離、このマインド、この小我と平凡、様々な言葉で呼ばれていますが、この観念に過ぎない“私”は、この指の部分を自分だと思っているという意味です。しかし、真実は、指が手と一体で、手は体と一体であるがごとく、万物全体とつながっています。自分はどんなに独立していると信じ込んでいても、実際は宇宙、万物が体を動かしています。

この分離感、これがなぜ生まれたかと言えば、ずっとお話してきたように、一体なものにそれぞれ名称付けたり、自己管理のために万物が生んだ五感によるものだと私は感じています…。この独立感、分離感を本気にしてしまうと、その“私”というものが良くなりたいとか、“私”が勝ちたい、安全になりたい、というような自我の野心になりやすいために、ある意味ではそれらは弱みともなり、搾取されやすくなることでしょう…。その上、部分が良くなりたい、勝ちたい、成功したいという野心を持つこととなり、そのために逆に万物自然に逆らい、突起し、かえって成功できない、よくなれない、つぶされてしまう、繁栄することができない、といった逆に滅びてしまう道を突き進んでしまうことにもなるのでしょう…。要は一体の中で、他を滅ぼすような突起したものがそこから目覚めるように即されて、破滅的メッセージを受けてしまう、ということはこの世界の大きなダメージであり、悲しみであることでしょう…。

古代のリーダーたちは、そのことによく精通していた模様で、彼らはずっとそのことを伝えています…。他と見えるもの、本当はすべてが自分自身、小指からしたら親指、親指からしたら人差し指、他と見えるものはすべて一体なんだ、だから、人のふるさとに侵入しようとか、人をやっつけようとか、勝とうとか、抜きに出ようとかしてはならないと教えてきたわけです…。もし、自分がいて、その自分が良くなりたいとなれば、そのために野心を持ち、その野心が心理的時間を発生させて、今にいられるやすらぎすら奪われ、自分自身を苦しめるということもつながってゆきます…。また、自分が強くあると信じることで、自分の負け、自分の死、自分の病気、自分の老化、という風に、自分ということで様々な苦しみが生まれてきます…。

ですから、古代からヨーギたちは、自分などいない、自分など存在しない、この世界の真実はすべて万物の部分でしかない、万物の一部でしかない、そしてそれは永遠につづくものだと理解していたわけです。そのことで、自我のあらゆる不安、自分というもののあらゆる苦しみ、自分というもののあらゆる野心、野望、そのようなものすべてを手放して捨て去ってゆくことこそ、真のやすらぎや平和や本当の万物としての成功や繁栄、神々から祝福される素晴らしい無我無心と呼ばれる自我の考え(心)がない状態が生まれることとなるのです…。

この世界は一体の世界です。決して分離していません…。ですから、分離した価値観(自我思考)で生きるとあらゆる人生はそれを阻止しようとするメッセージであふれ、日々トラブルとなってゆきます…。しかし、自分など存在しない、一体だ、ひとつだ、私などいなかった…という気づきを持つことであらゆる苦しみは消え去ってゆきます。ニューエイジの方たちも、精神世界の方たちも、ここのところを本当に見てゆかないと、自分が悟る、自分が良くなる、自分が成功するということになってしまうと、逆になっていってしまったり、自分が存在し、過去生でどうしたとか、死してなおも自我があると信じつづけることとなります。自我である分離を盲信して人類が生きるなら、その分離感はより強まって、より苦しみとなることでしょう。そもそも自分などいなかった、そもそも一体の世界だ、という気づきのほうが真のやすらぎや真の平和や、真の成功につながってゆくということを、これから人類は学ばなければならないのではないでしょうか…。
そして、分離社会の争いや戦いから去り、美しい平和な社会を生み、そして生きる人々が今何より必要であると感じてなりません…。

MARTH
2018.1.1