Q:MARTHさんにお尋ねします。あらゆるものが神の現れ、神の子、万物の子、奇跡の子、愛の現れ、と発言されています。しかし、その一方で分離社会の問題点についても鋭く伝えていらっしゃいますが、その関係について、お話しください。

MARTH:人間を含めてあらゆる生命が、またあらゆる物質と呼んでいる未知のものすべてが、一体なる神の現れ、愛の現れ、神の子であることは科学的に間違いないでしょう…。
すべてのものが、また、すべての生命がつながっています。そして、そのすべての素粒子はひとつゆえに愛の現れ、神の現れ、そう言って良いでしょう。
しかし、その中で人類だけが、五感だけではなく名称付けからくる言語を持っていて、それがゆえに、長い歴史のなかで分離を強く信じてしまっているのではないでしょうか…。たしかに、五感を持つことはとても便利なことですし、言葉を持つこともとても便利でもあります。しかし、それを強く盲信してしまうと、誰もが分離感にさいなまれてしまうのは避けて通れません。長い歴史のなかで人々は自と他といった分離感をつちかってきました…。

例えば、このような実験をしたとしましょう…。2つの体育館に1000人ずつの人々が分かれて入ります…。そのどちらの中に入った人々もすべて神の現れ、愛の現れ、または神の子、なんと呼んでも良いですが、万物自然の奇跡の子たちとしましょう…。それが1000人ずつ、別々の体育館に入りました…。一方の人たちは徹底的に分離感(自我・争い・戦い・競争・比較などの分離感)を習います。分離した価値観を持った人たちが喧嘩したり、争ったり、おどしたり、ずるいことをしたり、いんちきをしたり、そのような映像が次々に流れる中に1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月いたと想像してください…。一方の体育館では、様々な真の目の開いた、例えばイエスやブッダや、ソクラテスや老子、クリシュナムルティ、OSHO、ラマナ・マハリシなどなどがずっと一体感を伝え続けたとしましょう…。さぁ、3ヶ月後、どうなるのでしょう。同じ素材を持つ愛の現れ、神の子、なんと呼んでもよいですが、そのような素晴らしい性質を元から持っていた人達はどうなったでしょうか…。これが、地球で今起こっている状況ではないのでしょうか…。一方の人たちは争いや戦い、しまいには自我の分離感から生まれる恐れにさいなまれ、戦争、喧嘩、だましあい、憎しみ合いを習い、信じ、悪くなってしまった人々と、そうとは知らず暮らします…。また、一方の人たちは一体性を感じ、習い、生きる…。そして、美しい輝きや運のよさ、真の繁栄、真の喜びにいたる…といった、それと同じようなことが、この星で起こっているとはいえないでしょうか…。
この世界が闇であるのはそれだけのことだと感じてなりません…。

すべての問題は分離感から来るのではないか…。人類の歴史が人のふるさとへ侵入するのも、襲うのも、奪うのも、ありとあらゆるネガティブなことが、本当は一体の世界の中でしかしそう習えず、分離感を信じるゆえに起こるのではないのでしょうか…。古代の人々は、またそのリーダーたちはそれを必死に訴えてもいます…。自と他の分離、分裂感からそのような苦しみの世界となっていると…。すべてが一体で、すべてがひとつで、すべてがつながっていて、この宇宙全体がひとりである、一個である、というような一体感の学びから、残念なことですが文明が出来ていないのです…。人間界は自らの本質(愛)で機能していなく、あらゆる隔たりと分離、分裂感で確かにいっぱいであるのでしょう…。そこから、この世界は闇となってしまっているのも、あまりにも過剰にそちらに片寄ってしまっているからだといえるでしょう…。人間は、そのことに今こそ目覚め、気づき、真の自己に戻らなければならないときに来ている…ともいえないでしょうか。私達人類の本来の質である一体感を再び学ぶことで、その人の真の仏性、神性、なんと呼んでもよいですが、その人の真の美しさが本当は出てくるのだろうし、もしその人が分離、分断、争いや戦いや喧嘩、競争、比較、そのような中で育ったら、どんな美しい素材であっても、万物の法則に合わぬゆえにダメになってしまうでしょう…。運も悪く、引き寄せるものも悪く、自我が強まれば強まるほど、人々は本来の美しさや輝きを失います…。たしかに、今この世界は、そのような分離、分断でいっぱいです。あらゆる分離の情報にあふれています…。古代の人または昔の人々と比べたら、テレビやラジオ、インターネットが普及し、ありとあらゆるものが分離、分断の自我(エゴ)世界の戦いや比較からの優越、劣等、競争、争いを伝えています…。子供たちも含めて皆がますます分離感を強め、自我化してしまいます…。そうであれば、いじめや争いはますますひどくなり、戦争や戦いや苦しみはますます人々を襲うことでしょう…。全く同じ神の現れ、愛の現れである沢山の人々が分離感によって本来の美しい質を台無しにしてゆく…。その本当の質(姿)に会うことすらできない…。人と人が出会う時に、互いに分離感を持った同士になってしまう…。仮にその人達が愛の現れで神の子であっても、分離、分断の価値観の中では美しい素材もたしかにダメになってしまうでしょう…。それゆえに、人類はそのことにつくづく気づいて、新たなる世界を生み出さなければならないのではないでしょうか…。分離感を習うのではなく、一体感を習えるように…。世界中の子供たちが、自らの本来の質を取り戻せるように、一体感を学ぶことができ、ひとつであること、つながっていること、すべてが神の現れ、愛の現れであることを学ぶことが、世界中の人々が出来る時がつくづく来ているとも感じてなりません。その時、あらゆる人が本来の質である美しさを取り戻すでしょうから…。

MARTH
2018.1.3