Q:MARTHさん、ゆるし塾でゆるすということについて、伝えてくださっておられます。それと、分離社会が治っていかなければならない、ということについては、何か相反しているように感じますが、どうなのでしょう。

MARTH:まず、ゆるすことについて見てみましょう。この世界が誰のせいでもなく、分離社会(エゴの世界)から生まれる、争い合う社会が、長きにわたりずっと続いているということを見ます。また、自我の世界、イコール分離感の中、そこに万物の子が生まれる、といった悲しみもずっと続いていることを見ます…。そのような世界で、分離感が特に強い一族や家族に生まれ、または環境や国、民族に生まれるなら、美しい素材であった人々の誰でも、非常に苦しむこととなり、本来一体性だった神の現れたち(神の子)であったものが分離した自我社会の観念、価値観の中で押しつぶされ、傷ついてしまうのは、よく理解できます…。またはそのような争いの価値観の中、喧嘩や競争の観念がしみついてしまうということは容易に推察判断できることであり、自然に当たり前にわかることでもあるでしょう…。それゆえに、その人々を責めることは到底出来ません。彼らが非常に恐れが強かったり、そのために非常にキレやすかったり、ウソで固めていたり、恐れから逃げ続けやすかったりも、当然することでしょう。また、時代背景が勝ち負けや戦い、ハンデ感の強い環境や時代に育てば、ますます恐れが大きくなってゆくことは避けられないことです…。分離、またエゴ、自我といった、へだたりが強まる文明や強まる時代、強まる国や、強まる家庭や環境、そのように強まるところでは当然、社会や人生の状況は悪化するのは必然です。それゆえ、神の現れ(万物の子)が悪くなってしまっても不思議ではなく、万物の子がそうなってしまうのはやむなきこと、というゆるしは自然なことです。恐ろしい、怖い世界で生き、やむないことだった。誰のせいでもない、そこの環境にいたら誰でもそのようになりがちである、というような大きなゆるしがまず初めになくてはならないでしょう…。

そして、自分がなぜありがたいと思うのか…ということですが、それは、ゆるしたあとに自分が分離から出てきた、分離感から目覚めてきた、自分は無我に向かっている、ということに関して、それゆえにありがたいと思うのです。だからよりゆるせ、それゆえにありがたい…。心からありがとうと想えるのは、そのためです。自分はどんどん成長し、本来の質である神の子に、万物の子にますます近づいている、帰還しているゆえに、また、よりゆるすことができるのです…。本当の自分、本来の質(無我)に戻ってきているということは、素晴らしい喜びです。真のリアリティの中で美しき静けさが戻ってきている、本来持っていただろう滋養や至福が戻ってきている、トラブルが止んでゆく、大きな大きなハートに戻ってきている、それは真我のごときもの…。それゆえにますます分離した社会の悲しみを理解することができる、ゆるすことができる、それはありがたいこと。一度この分離社会の中でやられてしまった自分が、本来の分離社会で傷つく前の元の自分に帰って、(万物自然の子、神の子)無我で無心に治っていっていることは、大変嬉しいことであるでしょう。当然、その変化の中、引き寄せるものも良くなってゆく。逆に言えば、その分離の価値観が強まれば強まるほど、花咲かじいさんの逆さまになってしまう…。逆に、分離自我が自分からなくなればなくなるほど、自我が薄まれば、自我が終焉すればするほど、自分には、万物が与えた素晴らしい滋養が、また喜びが、素晴らしさが、運のよさが戻ってきて、あらゆる問題が減ってゆく…。その時、“自分”のものといった観念が減り、“自分”がいるといった観念が減ってゆきます…。自分などいないゆえにそして自分のものなど何もないとき、様々な自我に起こる苦しみは止んでゆきます…。自分のものだと思っていない船が沈んでも、苦しみは少ないのです…。そのようなところから、無我への帰還は人をとても楽にし、幸せにすると、強く古代から伝えられてきたのです…。ゆるし塾は、そのような気づきから出来ています。それはある意味、古代の人々が10の法で表したような、一体だからこそ、ひとつだからこそ、他と見えるものと戦ったり、滅ぼしてはならない、その時、真に持続可能な繁栄や成功があるという教えにもつながるのだと思います…。

また、沢山の人々の心のトレーニングをサポートするセラピストやトレーナーの立場で、長くやってきた経験から、気づいたことをお伝えします。分離感、へだたり、戦いや喧嘩、競争の観念が強い家庭に育った子供たちは、非常に恐れが大きく、悲しいことですが内側が弱くなり、不安定になるという傾向があります…。また、恐れからやむなくキレる、また黙る、企む、といったそのような人たちをサポートする時に顕著に現れてくるのは、その人達は両親たちがこの分離社会でのエゴシステムの苦しみを、非常に強く信じているという傾向があり、その方達にその分離感や自我への盲信を治ってもらったり、分離から覚めてもらうしか、真の解決はないのにもかかわらず、彼らは、苦しみは自分の問題だ、自分の方が悪いんだ、というように考える傾向があります。すべては自分の分離感とその人の分離感の強さで人生が決まってゆくとしたら、美しき家庭や社会を生むためにはどうしたら良いのかは明白です。しかし、そうとは見ず、そこに触れぬまま、あらゆる問題をさけ、「それはかえって良かったことなんだ。」「それは学びになるのだ。」というような、少し曲がってしまったニューエイジを形成する傾向が強くありました。今もニューエイジ業界の半分はそのような自我の問題は避ける傾向にあると思われます…。実は、病・老・死の苦しみも含め、人類のすべての問題は分離社会(エゴ)といった妄想の問題であり、分離感、要は自我の問題であり、無我無心というリアリティである非存在こそ、いつでもすべての解決を握っています。自分は存在していないゆえに、あらゆることは起こっていないという至福とは、分離社会と反するものなのです。

そのことへの理解が強まれば強まるほど、その気づきが深まれば深まるほど、人間のトラブルや問題は止んでゆきます…。より花咲かじいさんに近づいてゆくのです。逆に分離分断、要は自分と他、そこから生まれた勝ち負け、競争が増えれば増えるほど、残念なことですがトラブルや問題がその人に起こってくるともいえ、当然運も悪くなってゆくということが考えられます。しかし、その当の一番の問題である自らの分離感、また両親の分離感、また、環境、社会の分離感を問題にし、解決することで、(自らの人生は)世界は楽園となることでしょう…。それなしでは、逆に何も社会は良くなってゆかないでしょう…。腐敗したものを腐敗したものと見ない、それも必要なものなんだ、いいものなんだと言ってごまかしたとしても、新しい変わったニューエイジを形成してゆくだけで、それらは現代社会の悲しみです。一番大切なことは分離されたと盲信する社会、ようはエゴ社会、自らと周りの人々の自我の終焉こそが健全な社会への真の解決法であり、新たなる愛と平和の1000年は生まれないことでしょう…。それはいつの時代であっても同じであるのです。あらゆる環境で自我の終焉、分離の終焉こそが、あらゆる解決の手段です。

なぜなら、分離は妄想で、その原因である名称付け(思考)は、そう名付けただけのもので構成された、事実ではない作りごとなのです。ゆえに、それによって出来ている思考は、リアリティの世界を見ることはないのです。

それゆえ、分離感は永遠(とわ)なる一体の中に暮らす、本当の人々の美しきハートを破壊してしまうのです…。人間が平和でしあわせで、運がよく、繁栄し、真に豊かになるためには、その宇宙の法則(リアリティ)に合った生き方が必要です。そのことへの気づきが何より必要なものなのです…。

MARTH
2018.1.5