長きにわたり、古代から人類は分離感によって苦しんできました。その中でも最も大きな苦しみは、支配し、支配されるという苦しみであったことでしょう。すべてが一体の世界の中で、自と他は一体なのではなく別ものであるという価値観を持った一部の人類は、人は他であるから、その他である人から奪っていいんだ、人の故郷に侵入して奪えばいいんだ、その方がたやすいぞ…というような価値観を持ち、戦って奪うことを信じた人々は、分離した文明を生みだしました。すべては一体であるという価値観を持った人々は、それがおかしいことに気づいていましたが、当然それに気づけない人々は、人の故郷に侵入するようになります。逆に平和に暮らしている人々からすると、自分の村に、自分の国に、他の人が攻めてくるということとなってしまいます。そして、殺されてしまうのです。ですから、ちからがいる。自分たちはやられたくない。支配されたくない、家畜化(奴隷化)されたくない、という思いになったのも当然のことです…。

そんな時、選択肢はいくつかありました。そのひとつは、戦って相手を滅ぼすという方法。また、取り締まる方法、また、強いところを見せて、相手を抑制する、抑止という策。そして、もう一つは、支配される、言うことを聞く、従う、家畜化されることを受け入れる、といった、やむなき法…。そして、そこにもう一つ、現代社会に通ずる、一番多いと思われる策は、その隷属(れいぞく)の中、心は支配されることなく、内側では自由を持ちながら、支配の中で生きる、隷属(れいぞく)の中で生きるという選択です。現代社会は特にこれにあたることが多いことでしょう…。金銭だけ奪えればそれでもよいか、といった支配のシステムは世界を今覆っています…。そして、もう一つは、“逃げる”です。これが、リ・ターンしない、行ったきり帰ってこないリゾートという言葉のルーツです…。ギリシャ語にその源を持つその言葉は、二度と帰ってこなかった12支族、10支族の在り方をそう呼んだことにルーツがあったと思われます。神々と約束をし、平和なエリアに移住する、すべてがひとつであるという(愛)の価値観のもと、平和な世界を生みだす、といった試みでした…。しかし、残念なことに、その愛のあるリーダーたちについてきた人々がまた、けんかや争い、領土の主張や、支配や隷属、脅しあい、取り合いを繰り返してしまったのかもしれません…。私たちの先祖は、そして全人類の先祖たちは、そのような戦いの苦しみの中で、分離感のもと生まれた社会構造の悲しみの中、本当にどう生きるのかを必死に模索してきたことでしょう…。

それゆえに、今ようやく、人類はそれを超えようとしています。そのひとつの答えが、分離感の終焉、自我の終焉であるでしょう…。すべてがひとつなる一体感を皆で学ぶといった道です。もし、このままゆけば、人類は、必ず、今言ったどれかに当てはまらなければいけません。分離を信じているために、人と自分と分かれているから、必ず他のものを滅ぼそう、支配しようと、また、悪い人ではなくても、支配されたくないから支配するのだという人々も生まれることでしょう…。腐ったものに巻かれたくないからと、戦う人々もいることでしょう…。それは戦国武将で言えば、毛利元就がそうでした。様々な強い勢力に囲まれていたからこそ、それらに支配されたくない、そのために力を付けざるをえなかったという武将もいます。そのように、世界中にそのように想う人々は沢山いるでしょう。しかし、ここから先人類は、ひとつなる万物自然の法に合わない生き方をやっていたら、必ず滅びてしまうでしょう…。そうならないように、新しい道が必要です…。それは何なのでしょう…。そんな道は、あるのでしょうか…。それこそが、気づきによって分離を終える時代づくりではないか、それは自我の終焉の世界ではないかと想えてなりません…。

みなが一体感を持った、古代の日本が“和”と言ったように…。(和とは無我のことで、愛のことです。)それを取り戻して、それを世界中の子供たちが学び、他なんてないんだ、全部、みずからなんだ、そう気づいて生きた時こそ、真に天に愛され、そのように生きたそのときこそ、人々は花咲かじいさんの話のように、真に豊かに、真に繁栄するのではないでしょうか…。モーゼが神から言われたことのように、真に、末代までそのことを子供たちに伝えていけば、彼らも必ず繁栄をし、立派な子供が生まれるかもしれません…。その子孫の中には、きっとイエスのような子供も出てくることでしょう。

戦いを超えた、そのような立派なリーダーたちが、美しき人たちが必ず生まれてくるだろうという願い、その想いをしっかり胸に持って、古代ユダヤの人々は、東の地へ向かったのでしょう。それこそが和の国であったかもしれません…。和を尊ぶ、愛を尊ぶ、無我を尊ぶ、謙虚であり、支配をしない、しかし、されもしない、その強さ、その美しさ、そのことを伝え続ける民族、それとしてこの和の国は生まれたのではないかと感じてなりません…。

MARTH
2018.1.13